2010年 07月 24日
進駐軍のパイン缶・・・ |
進駐軍の パイン缶食う 夏ありし wariオジ
何故か夏になるとよみがえって来る。
小学生の頃だった。
親父が何処からか缶詰を貰って来た。
色は暗緑色(モスグリ-ン?)で直径10㎝、高さはそれ以上あった。
夏の縁側でオバアサンも居たな、そこで開けた。
缶の真ん中に針を刺してぐる-っとひと回りして開ける缶切りだった。
輪切りで入ってた、初めて見るパイナップルの缶詰だった。
皆で分けあって食べたあの汁の甘かった事!
数日はパイン缶の話が続いただろう。
その後、空き缶は針金で持ち手を作り
魚釣りの道具入れになり、色がはげるまで使ったな。
あれ以来大人になってもパイン缶を買って食べた記憶がない。
アメリカはあんなのを食いながら大砲撃ってんじゃ戦争も負けるわ!
と言ってたのは元陸軍伍長の親父だった。
何故か夏になるとよみがえって来る。
小学生の頃だった。
親父が何処からか缶詰を貰って来た。
色は暗緑色(モスグリ-ン?)で直径10㎝、高さはそれ以上あった。
夏の縁側でオバアサンも居たな、そこで開けた。
缶の真ん中に針を刺してぐる-っとひと回りして開ける缶切りだった。
輪切りで入ってた、初めて見るパイナップルの缶詰だった。
皆で分けあって食べたあの汁の甘かった事!
数日はパイン缶の話が続いただろう。
その後、空き缶は針金で持ち手を作り
魚釣りの道具入れになり、色がはげるまで使ったな。
あれ以来大人になってもパイン缶を買って食べた記憶がない。
アメリカはあんなのを食いながら大砲撃ってんじゃ戦争も負けるわ!
と言ってたのは元陸軍伍長の親父だった。
by wari-oji
| 2010-07-24 18:04
| 飲む・食べる